光も闇も等しく愛する

今日、家の中でハプニングが起きまして。

 

非常ボタンを間違って押してしまいました😅

 

警報が鳴り、どうにかこうにか、警報を止めたのですが、

 

どうやら、管理人室では警報が鳴りっぱなしだったとのことで、復旧のために管理人さんがやってきてくれました。

 

我が家は高校を卒業した息子が帰ってきてから、狭い家に3人暮らしなので、現在、家の中が悲惨な状態で、お客様を上げられる状態ではないのですが、

 

その惨状を全部見せてしまう羽目になりました😂

 

まぁ、しょうがない、そんな私も赦す、

 

と思いながらも、しばらく氣になりますw

 

「恥ずかしかったなぁ」とww

 

なんでこんなことを体験しているんだろう、と思ったので、

 

・管理人さんに家の中を見られて恥ずかしいと感じている原因

 

をヒーリングしてみました。

 

すると、

 

「恥ずかしい」という私の中の感情は、私の「罪」とセットなんだということに氣がつきました。

 

昨夜、自分の「罪」を受け入れるヒーリングをしていたので、

 

やっぱりそこか、と思いました。

 

そういえば、先日も「恥ずかしさ」についてヒーリングしていくと、その奥の深い問題が見つかったことがありました。

ametsuchi369.hatenablog.com

 

そして、

 

やはり今向き合っている問題も、そのこと自体「恥ずかしい」と感じているし、

 

表に出ていろんなことがさらされることも「恥ずかしい」と思っているし、

 

そういえば、小さい頃から恥ずかしがりで、

 

そして、怒られることに対してものすごく恥ずかしいと感じていたなと、

 

私の人生の中で「恥ずかしい」という体験は結構あったなと自覚しました。

 

それで、

 

・私は私を恥じている

 

とチェックするとガッツリオンです。

 

罪深い私は、恥ずかしい、そう思っていたんでしょうね。

 

なので、それを癒してみました。

 

すると、「恥ずかしい体験をしたかったんだな」と感じたので、

 

その原因もヒーリングしてみました。

 

この時点で、

 

・私は私を恥じている

 

は、オンのままです。でも、

 

・私は私を恥じていない

 

もオンなのです。

 

ちょっと出かける用があったので、この続きは、電車の中でやることにしました。

 

 

そして、電車の中で、もう一度

 

・私が私を恥じている原因

 

を大元から癒しますが、すこーしだけオフになる、まだ、オンの範疇です。

 

そして、ふと思いました。

 

・私は私を辱めている

 

のではないかと。チェックするとやはりオンでした。

 

「恥ずかしい体験をしたかった」わけですからね、「辱めたかった」んですよね。

 

その理由は、

 

誰かを辱めた経験ゆえに、自分を辱めることで贖罪しようとしたんだなとわかりました。

 

なので、その原因を癒した上で、

 

・人や自分を辱めてはいけない

 

という思考パターンをどちらでもよい

 

に変えて、そうすると、ようやく

 

・私は私を恥じている

 

が、ぱかっとオフになりました。

 

どこまでも、私の中の闇を統合していく作業が続いているようです。

 

🦋

 

そして夜、大切な友と話していて、

 

やはり、いま、この次元では、自分の中の影、闇だと見えているものを、受け入れていく、

 

それも自分だと、諦めて認めていくというより、それをそのまま愛していく、チャンスが到来しているのではないかと感じました。

 

諦めるということも、本当は明らかに観るということなのですが、

 

ついつい、私たちは、仕方ない、受け入れるしかない、のような使い方をしてしまいますね。

 

明らかに観て、そして、それをそのまま愛する。

 

これが、私たち人類のいま超えるべきポイントなのかもしれないなぁと思います。

 

光が際立てば、闇も際立ちます。

 

でもやはり、どちらもわたし、だから、

 

どちらも等しく愛していく必要があるのかもしれません。

 

そして、人類はアルケミーを起こし、どの次元に生きるのか選択していくのでしょう。

 


🧚‍♀️おまけ🧚‍♀️

 

友と話していて、良いところに氣がつかせてもらいました🙏

 

「見捨てられたという思い」は、地球人共通の孤独感なのだそうですが、

 

同時に「見捨ててしまったという思い」もありますね。

 

なので

 

・見捨ててはいけない

 

が発動しているかと思いますが、これは、本当はどちらでもよい、わけですね。

 

ここら辺の偏りも超えて、私たちは、真の慈愛を理解していくのでしょう。