大変ご無沙汰しております。
氣がつけば7月末です。早いですね。
私はと言いますと、人間は皆、それぞれの見たいように世界を見て、体験したいように体験している、
ということを実感する日々でして、
それは、それぞれが望んで自由に選んで体験していることだから、
わたしが「MC愛ヒーリングで潜在意識から癒したり変えたりすると、世界の見え方が変わるよ。全部自分で創って体験していたってわかるよ。だったら望まない体験は自分で変えられるよ。自分のことを自分で癒せるよ。許していけるよ。愛していけるよ。面白いよ~。簡単だよ~。」と発信する意味はあるのか?
というスポットに陥っておりましたw
そういう時は、そのまま、その思いを抱いている原因をヒーリングするわけですが。
今日、ふと、オリンピック柔道の、”号泣”に批判の意見があると目にしまして。
私はあれだけ感情をストレートに出せるから強いんだろうな、と、そして感情をストレートに表現できることをある意味羨ましく思いました。(そもそもかわいくて強くてファンですけどねw)
批判する人たちは、例えば「人前で泣いてはいけない」とか、「大人は大人らしくしなければならない」とか、「武道とは~~だ」というそれぞれの思考パターンや感情を投影しているだけなんだよなぁ、
ということが、氣になったわけです。
なので、そのまま、「自分のフィルターを通して世界を見て、人を批判する人が氣になる原因」をヒーリングしてみました。
するとですね、
私自身が「人間に呆れている」という感情が出てきました。
なので、その原因もヒーリングしてみると、
「人間を心配している」という感情が出てきました。
なので、また、その原因もヒーリングしてみました。
これが、実は一番手の中の痛みを感じました。
で、ここで大事なのは「人間」というカテゴリにもれなく自分が入っているということです。
案の定、「自分のことを心配している原因」をヒーリングしてみると、手ごたえがありました。
つまりは、自分を信じていない、信頼できていない、ということで、
人間を、人間の本来の力を、信じていない、信頼できていない、ということになります。
そりゃぁ当然、今見ている世界の状況を、創り出すわけですよね。
日本人、しっかりしろ、みたいな、ね。
そして、この人間を心配している、誰かを心配している、それはもう要らないよ、という体験は、
昨年11月頃から頻発していました。
そうか、ここに氣がつくためだったんだな、と、しみじみ思いました。
わたしがわたしを心配しているから、誰かのことが心配になる。
誰のことも心配する必要はなく、心配されるような存在は、そもそも存在しない。
それぞれに力があるのだとしっかり認識する。
そうして、自分で自分を信じるということを取り戻すことが、
私たち人類の未来、地球の未来を左右する大切なことだったんだなぁと、ようやく腑に落ちました。
と、一連のヒーリングのおかげで、
発信する意味ある?というスポットをようやく抜けることができました。
また、心のままに、「MC愛面白いよ~」を伝えていこうと思います。
