いつも誰かに怒っている人も、
どこまでも自分を責めている人も、
結局のところは、自分を攻撃し続けていることは、同じです。
鏡のように、誰かに映った自分を観て、
直接攻撃したり、
心の中で裁いたり、
それをしたくないから、自分が悪いと自分を責めながら、誰かを責める人を裁いていたり、
四六時中、自分を責めているわけですね。
この世界に起こるすべての悪いことや悲しいことは、自分のせいだ、
と思うのも、
創造主である自分が創った世界のことだから、責任はあるかもしれないけれど、
だからといって、責め苦を味合わせるポイントに永遠に留まる必要もなく、
留まることが、かえって、創造主である力を発揮させなくしてしまうという悪循環が起こります。
怒ってもいい。
いじけてもいい。
真実から目を背けてもいい。
未知を怖がってもいい。
でも、もう、赦していいんじゃないでしょうか。
赦さなければならないこともなく、どちらでもいいし、自由意志の元に選んでいいわけですが、
もう、十分すぎるほど責めたことでしょう。
十分痛みを味わって、贖罪しようと思った意図を果たしたはずです。
ならば、ここからは、
赦していきましょう。
癒していきましょう。
愛していきましょう。
そんなゲームのやり方を選んでいきませんか?
赦し方がわからない、人も多いと思います。
そこには癒しが必要です。
癒し方を、受け取りに来てください。
本来私たちは「無条件の愛」であることを、思い出していく未知のりを進んでいきましょう。
心身魂の声を聴きながら。。