「本来お坊様のお役目はなんでしょうか?」という問いをいただきました。
何だろうな?としばし考えていました。
本来、人は、あめつちの間にある者としての役割があるのだと常々思っています。
その本来の役割を忘れてしまっているのが現代の私たちなのだろうと。
本来人は天と地をつなぐ者であったのだろうと思う理由は、そのエネルギー循環システムなわけですが、ここはまだ観察中です。
では、僧侶の役割は?
法に出逢い、出家していない人たちよりも少しだけ、この世界の法則のヒントを与えられ、
日々仏という宇宙を身近に感じながら、この世界の謎を解こうと行を積み重ねているのが、本来の僧侶なのではないかなと思います。
そして、それは何のためなのか?
籠る行ではなく、里に出よと言われるのはなぜか?
菩薩が衆生の抜苦与楽を目的とするのと同様に、
行者もまた、行の中で得た何かを、人々の抜苦与楽のために活かさなければ、
喜びとならないのだろうと思うのですよね。
本来の僧侶の役目は?と問われて、
あめつちをつなぐ者、次元を繋ぐ者、ポータルである、
そして、日々の行で得た何かをもって人々の抜苦与楽のためにはたらく者、と、私は答えました。
そしてまた一人想います。
だからこそ、出家者もまた、人の営みを体験することがとても重要なのだなぁと。
たくさん傷つき、たくさんつまづいて、たくさん悩んで苦しんで、人の性の何たるかを味わって、そこをどう超えていくか、
その体験実証が、きっと誰かの役に立つのでしょうね。
お坊さんになりたい!と言った私に、まず結婚して子どもを産んで育てなさい、と言った師僧の言葉の重みを改めて感じています。
還暦前に遷化され、その時も私は立ち直り難いショックを受けたのですが、そこからまた様々な師との出逢いがあり、
そのタイミングもきっとお互いにベストタイミングだったのだろうなと思います。
もっと教えて欲しいことがたくさんあったのに、とは今でも思いますが😁
あめつちの間にある者として、すこやかな呼吸をしていたいと思います。
ただただ、わたしであろうと。