ふと氣がついた
・人に氣を使わせてはいけない
という思考パターン。ばっちりオンです😁
あ!なんでこんなはっきりしている思い込み、忘れてたんだろう!と思うくらい、
小さいときからそうやって育てられました😂
「よその人に氣を使わせた」とダイレクトに怒られていました。母に😁
「氣のきかん。」と、しょっちゅう言われていたものです😁
でも、大人になってくると、氣遣いをされすぎると、こちらが疲れることがわかってきたので、
私は、相手や周りに氣を使わせないために、”氣を使わない”ということに努めていたのです。
でも、「人に氣を使わせすぎ!」と内なる声が叫んでいることに氣がついて、
そうか、私がねばならない、と思ってるからだ、、とわかりました😅
ふふふ、全部、私が創っているのですよ、はい。
重々わかっていても、やらかしているのですよ、はい😁
「氣のきかん」と言われることも織り込み済みでそんな母の元に生まれてきているはずです。
ごめんね、みんな😂
ということで、早速思考パターンを変換してみました。
さっきまで粘着していた「人に氣を使わせすぎ!」がなくなって、何を氣にしていたのかさえ忘れました😆
人に氣を使いたい人もいれば、使いたくない人もいていい。
使いたいときもあれば、使いたくないときがあっていい。
私はどちらかというと氣を使いたくないけど、氣を使うことが氣持ちいい人だっているはずだし、全部自由だなと、改めて思います。
いい感じ、いい感じ✨