「自分の罪に氣がついていなければならない」という思考パターン

そういえば、夕方、テレビで元アイドルのママタレントさんが、子どもが絶賛反抗期で「くそばばあ」と言われる、という話をしていました。

 

それを聞いて、

 

(反抗期とかイヤイヤ期とか当たり前だと思いすぎ、みんな。

 

コントロールした結果だから、それ。)

 

と思っていました。

 

そして夜、なんだこのモヤモヤは、、ということについて感じていると、

 

被害者の立ち位置にいて、その加害者にストレートに怒りをぶつけられない故に、

 

他のところで関係のない人たちに少しずつたくさん攻撃していることに氣がついていないパターンが氣になっていることに氣がつきました。

 

で、すべてが繋がりました。

 

幼さゆえに、子どもたちを傷つけて、人格形成を阻んでいる教師たち、

 

子どもの不満を言うけれど、自分の投影であり、そうなるように育てたということに氣がつかない親たち、

 

夫について長年思っていることも、

 

私が氣になっていたいろいろに共通することは、

 

・自分の罪に氣がついていない

 

ということでした。

 

twitterで流れてくるあれこれも、結局は、そこだったな、と。

 

人はみな、誰かの罪を「自覚しろ!」と怒っている。

 

ように、私には見えている。

 

ということは、私の中に、

 

・自分の罪に氣がついていなければならない

 

という思考パターンがあり、

 

そしてやはり、

 

・罪を犯してはならない

 

という思考パターンがあるということです。

 

早速、MC愛ヒーリングで”どちらでもよい”にしていくのですが、

 

これがなかなか手強い。

 

もしかしたら、ここ1年半毎日のようにやっているヒーリングの中で一番手強いのではないか?と思うような、手強さです。

 

なので、

 

・自分の罪に氣がついていなければならない

 

と思っている根本原因も、内観するやり方で感じていきました。

 

ストーリーは見えてきませんでしたが、何かしら大ごとをやらかしたと思っていることは感じられます。

 

そして”自分のほんとうの氣持ち”は、

 

「もう人間たちを許したい」

 

でした。

 

そうかそうか、やっぱり人間たちを許してなかったんだなぁ、とわかります。

 

それで、自分も人間をやっているわけですからね、

 

そりゃぁ、「許さない!」となっているわけですし、罪悪感を味わいたくてしょうがないですよね。

 

そして、再度、思考パターンの書き換えをして、ようやく、

 

・自分の罪に氣がついていなければならない

 

が、オフになりました。

 

が、

 

・罪を犯してはならない

 

は、まだオンです。

 

仏教者の性でしょうね😅

 

けれども、

 

・罪を犯しても犯さなくてもどちらでもよい

 

もオンになるので、

 

まぁ、最初よりは緩んでいるということだと思うので、

 

ここは、また上がってきたらヒーリングしようと思います。

 

真言行者は「罪障消滅悉地成就」

 

と、唱えながら数珠を擦りますから、

 

・罪を犯してはならない

 

は、根深いのでしょう😁