飢えることって大事だったんだなぁ、としみじみ思ったりしています。
以前、住んでいた社宅が解体されることになり、子どもの学校の事情で新しい社宅には行かない選択をし、
それまでの家賃の10倍近い(社宅費が異常に安かったのですがw)家賃を払うことになり、無理をして引っ越したもので、
退去するとき、壁紙総張り替えなんてことになっては、死ぬwと思ったのと、
ちょうど、「一番大切なものを手放してみよ」というメッセージがあちこちから来ていたこともあり、
4年間、勤行することを封じました。
それまで、20年以上続けていたことでした。
そのうち、息子が「この家に足りないものが一つある。それは線香の匂い」と言ってw
「わかるー」と笑ったのですが、
去年引越して、再び仏壇を構えて、あぁ、飢えてたな、私、としみじみ思っています。
響き、声を出すことにも飢えていたので、氣持ち良さが格別です。
何でもやはり、コントラストがいろいろわからせてくれますよね。
愛に飢え、誰かの愛で満たそうと必死になって、それでも全く満たされないことを知ると、
人は自分で自分を愛する、自分で満たす、ことを始め、内側に最愛の人が最初からいたことに氣がつき始めます。
お金がどうにもこうにもない!となったら、働きに行く。
でも、何か違う、全然楽しくない、私は何をしていたら楽しいの?と感じ尽くすと、
私の何をお金にできるのか?と自分の才能に目を向ける。
ということもあるのではないでしょうか。
だから、やっぱり何でもとことんまでやったらいいんだろうな、と思います。
で、どこでシフトしようが、みんなどれも正解。
愛から分離し、とことん対極まで行った私たちが、愛に還る季節。
たくさんの珠玉の体験を携えて、還っていこうじゃありませんか。
そして、その先の物語が、きっと一番見たかったものだと思うので。
#本来の自分で生きる
#望む世界を創造する
#returntosource