人は、自身の言動に正当性を見出したいのだな、と思い、
どちらでもいいのにな、と氣になりました。
そして、かつての私もとてもそれを重要視していたなと感じます。
・正しく在らねばならない
チェックするとオンです。
なるほどね、と思います。
さっそく書き換えます。
・正しく在っても正しく在らなくてもどちらでもよい
すると、
「吾輩は猫である。理由はまだない。」というフレーズが浮かんできましたww
なんじゃそりゃ!と脳内で突っ込みましたw
正しく在らねば、とか、
間違ってはいけない、とか、
ちゃんと説明できなければ、とか、
やはり、視点が外側にありますよね。
ハートの声を聴きながら、常に”本音”を捉え、
そして、そのまた奥の奥のハートの沈黙に寛ぎ委ね、
自分軸へ還っていく。
そんな大きな機会がいま、私たち人類に与えられている氣がしています。
これは、私たちが、”一なるもの”へ還っていくプロセスの中で起こること、でしょうから、
そのタイミングがいつだっていいわけですが、
常に”いまここ”に”今”があります。
求めれば、即、至る、ということは、真実なのだなぁと思います。
発菩提心。
自身の回転を鈍らせているものを、どんどん軽くしていきましょう。
ヒントは、周りにいるみんなが見せてくれています。
重々帝網なるこの世界。
自分自身の本質の愛で、世界を展開していったら、どんな世界なのか、
それを見てみたい。
というのが、私の欲なのだなと思います。
「彼の身即ち是れ此の身、此の身即ち是れ彼の身
(『即身成仏義』)