目を背けてきたものを観るチャンスを自分で創っている

息子のフルコン空手の試合を見に行ってきました。

 

小さな団体の大阪大会で、とても雰囲気よく開催されていて、壮年クラスの皆さんが多くて、その姿に本当に敬意を表したくなる、温かい大会でしたが、

 

2試合とも、全く息子の良さは出ず、相手は黒帯、息子は緑帯とはいえ、実力は上まっているだろうと思われる相手に負けてしまい、

 

今回は素人の私からは何も言うことはない、という、

 

つまり、悪いところしかなさ過ぎてピックアップしたらキリがない、

 

そんなことは本人が重々わかっているだろう、みたいな試合だったせいか、

 

気づかぬうちに、何やら、不調和なエネルギーを吸い込んでしまったようで、

 

帰ってきて、久しぶりにダウンしました。

 

とりあえず、できる浄化をすべてやってから、「寝る!」浄化法を取りましたがw

 

しぶとい。。

 

ちょっと話は逸れますが、寝ることは、やはり浄化になりますので、眠くて眠くて起きられないとか、

 

なぜか寝続けてしまう、というときも、

 

浄化中だと思って、自責することなく、寝てくださいね。

 

靈障のあるときって、足先が全く温まらず寝づらい、、ということもあるのですが、

 

がんばって寝続けていると、ぽっと身体全体温まる瞬間があります。

 

そんなとき、私は、あぁ、誰かが力を貸してくれたなぁと、見えない存在たちのサポートをひしひしと感じます。

 

さて、話を戻します。

 

しぶとい不調和なエネルギーが身体に留まるということは、

 

それに同調する周波数をこちらが出しているということなので、

 

肉体チャクラオーラフィールドにその不調和なエネルギー体が留まる原因をヒーリングしていきました。

 

すると、「自分を責めている」感がわかってきました。

 

だいぶやらなくなったとはいえ、私の得意分野ですw

 

で、やはりか、、となったのですが、

 

息子の試合に臨む姿を見ていて、

 

19歳、ちょっと調子に乗ってたということを体験する必要があったのだな、と思いながら、

 

私は21歳の私が調子に乗って起こしてしまったある事件を思い出してたんですよね。

 

とっても大事な儀式のための準備の日、夜更かししすぎて寝坊してしまい、仲間をずっと待たせてしまったのです。

 

結果、その準備は、尼僧だけ、別日にやることになりました。

 

と、そのことに、試合会場で氣がついていたので、その自分を癒したり、みんなや先生方に対して申し訳なかったという思いを、戒めのように持ち続けていたことにも氣がついて、ヒーリングをしていました。

 

ですが、試合会場でもあったし、ちょっと足りなかったんでしょうね。

 

そして、それは一つのきっかけであり、

 

自分を責めてきたことは、山ほどあります。

 

なので、

 

「わたしが自分を責め続けてきた原因」を大元からヒーリングしていきました。

 

すると、やっぱり身体がとても楽になりました。

 

そして、同時に、集合意識への影響も感じられて、

 

そうか、「チーム罪悪感」と私が呼ぶ仲間たちwや、ついつい自分を責めてしまう人々は、それを癒すことで、集合意識へ貢献していこうと思っている人たち、なんじゃないかなぁと感じました。

 

自分を責める人は、まず他人を責める前に自分を責めます。

 

一見、いい人に見えますよね。

 

でも、自分を責めている限り、他人への責めも必ず持っています。

 

ここから目を背けないことは、とても大事です。

 

他人を批判したくなるとき、必ず、自分を批判しています。

 

しかし、自分を癒し、自分を赦し、自分を認めて、自分を愛していくと、

 

誰かを批判してしまう機会が減ってくるのです。氣にならなくなるのです。

 

これがとっても面白い、わかりやすい変化です。

 

でも、そもそもが、自分を責める人たちというのは、

 

「他人を責めてはいけない」と思っているので、

 

他人を批判していることにも氣がつかなくなっている、鈍感になっていることが多々あります。

 

なので、まずは、自分の正直な氣持ちを捉えてあげる必要があり、

 

そのために、自分のあらゆる感情をジャッジしない、

 

こんな風に感じる自分がいてもいい、と、

 

自分を「理想的な母の慈愛の眼」で見てあげることが大事なんですよね。

 

これは、私を大きく成長させてくれた、”『王の帰還』ワーク”を構築された木盛龍彦さんの教えです。

 

「この世には、残念ながら、理想的な母は一人もいない。

 

だからこそ、自分自身の第八チャクラを開き、そこから、どんな自分も見てあげるから出ておいで、と、理想的な母の眼で見てあげる必要がある。

 

愛でてあげる。そして、自分を育てていくのだ。」と教えてくださいました。

 

それはまさに、衆生に本来備わっているという仏性、我即ち大日如来(宇宙)なり、というときの大日如来の眼で、自分を観ることと同義で、

 

そして、大いなる自分で、肉体をもって生きる自分を観て、育て、人生を歩んでいくこと、

 

そして、ハイヤーセルフと共に生きていくこと、と同じなのではないかなと思っています。

 

真言密教では「大欲清浄句是菩薩位」(たいよくせいせいくしほさい)と『理趣経』の中で読み上げますが、

 

欲を滅するのではなく、欲を菩薩の位置の欲「大欲」へと変化させなさいと教えられますが、

 

先日、姉とちょっとしたワークをしていてまたよくわかりました。

 

大いなる自分で見た時の欲、これが大欲なのだと。

 

「欲がないと創造は生まれないもんね」と、先日、MC愛ヒーリングの創始者真由美さんも話しておられて、本当に本当に、と思ったことと、また繋がりました。

 

あれ、話が拡がりすぎて、何をここに今日書きたかったのだろうw

 

とりあえずアウトプットしたかったのでしょうから、ちょっとわかりにくいかもしれないですが、残しておきます。

 

とにかく、自分を責めてもいいし責めなくてもいい、

 

どちらでもいいのです。

 

でも、自分を責めすぎてしんどくなっていることに氣がついたなら、

 

たくさん癒してたくさん赦してたくさん愛していきませんか?

 

そうすると、自分というspiritが、何を体験したかったのか、この地球に何をしにきたのか、

 

どんなゲームを選んできたのか、そしてここからどんなふうにゲームチェンジしていきたいのか、

 

そのことがわかってくると思います。

 

そして、何をクリエイションしたかったのか、どんな自分の宇宙を創造したいのか、

 

そこを捉え始めると思います。

 

ふふふ、面白いですね。

 

目を背けてきたものを観るチャンスが浮上してくるということも、自分で創っている。

 

ならばその機を逃すのはもったいない。

 

それは癒しのチャンスであり、自分の中心に戻る、本来の自分に戻るチャンスだからです。

 

それを楽に簡単に可能にしてくれるのがMC愛ヒーリングです。

 

目を背けてもいいけれど、観てあげるともっといいことも体験しますね