「豊かさクエスト」と勝手に名付けて進行中のこの世界の謎解き。
毎日、”豊かさ”のカードが出てくるので、観念してw”豊かさ”のユニオミスティオイルを使い切ってしまおうと、毎日ハート瞑想し、セルフタッチをしています。
この「豊かさクエスト」の中で、”豊かさ”のカードの次によく出てくるのが、
”収穫”のカードです。(その次に、不死鳥の”試練を克服する”ww)
少し前に、物質化しているこの肉体は、その瞬間の靈の周波数の実りだったのだ、という認識がやってきました。
あぁ、なんて豊かなんだろう、と。
そして、今日はまた、このカードを眺めてみると、
実は、昨日、ハイヤーセルフが遣わしたと思われる友の力強い言葉に背中を押され、
ずっと「怖い怖い」と言っていた、(私が勝手に妄想して高くした)ハードルを越えてみたのです。
まだ、一つ目を跳んだだけなので、この後の展開はどうなるかわからない。
でも、どう転んでもいいという覚悟ができたことで、
舵が大きく切られた感覚があります。
ゆえに、この、”収穫”のカードの真ん中の光は、私が真に目指す目的地のように見えます。
そこへの通路が開いたような。
でも、その前に、何か収穫して、受け取る必要があるのかもしれない、と見えていました。
そう感じたことをハートで受け取って、オイルをたっぷり使ってセルフタッチしていきます。
すると、とってもドキドキしてきます。
始め、なんだこの恐れは?と思いました。
でもどうやら、それは、「恐れ」ではなく「ワクワク」なのだと、私の潜在意識が教えてくれます。
これも少し前に、外国の研究者が話していたYoutubeを見たのですが、
恐れのドキドキと、ワクワクのドキドキは、肉体が感じる物理的反応としては、全く同じなのだと。
だから、怖いと思ったその先のワクワクを思い浮かべ、これはワクワクしてドキドキしているのだと、脳をだましてやると、ほとんどの恐れを超えていける、という話だったんですよね。
それを見てから、私も実験していますが、
相当な「恐怖」に捕まっているときは、その先のワクワクを思い浮かべるのが難しい~なんて思っていたのですが、
実際に、自分が「恐いのか?」と思ったことが、潜在意識を確認すると「No」と言ったことで、
はは~ん、そういうこと?これまで、私は、ワクワクなドキドキさえも、「わっ、なんか恐いっぽい!これって味わっていたくない!」と判断していたのだなぁという氣づきがありました。
ということで、そうか、私はワクワクしているのか、と受け取りながら、さらにオイルをたっぷり使っていきます。
で、何について恐れていると勘違いしたのか。
それは、真の自分が顕れること。真の自分に出逢うこと。だったのです。
それは、私が見ている人たちに感じていることでした。
本当に自分に触れることは恐いのかなぁと。
でも、実は、私もその人たちも、ワクワクしていたのだ、ということがここで腑に落ちました。
だったら、その、私の投影として見えていた人たちのことを、心配しなくていいですもんね。
自分がそうだったから、何だか氣持ちがわかるよ、、というところから心配が発生するわけですが、
私の投影なのだから、やはり、私が何かしらに氣がつくために創り出したわけですね。(相手のどの層を見ているかということです。)
また、その人たちを心配するということは、私が私を心配しているということなのだから、
こうして氣がついていくと、私は誰も心配する必要がなくなります。
心配は、その先のネガティブな現実創造を後押ししていましますからね。
と、そんなことを感じながら、セルフタッチを続けます。
ハートで感じて、肉体が「触れてほしい」と訴えてくるところを触れ終わるまで、続けます。
セルフタッチのいいところは、遠慮なく全部触れてあげられるところですね。
私はちょっと腕の筋肉のかたまりゆえに、肩甲骨の辺りが若干手が届かないところがありますがw
ハートに深く入りながら、自分の肉体をハートから触れていくと、、
「そうか、私は今、収穫を迎えている。それは、私自身が実りを迎えているのだ」ということに氣がつきました。
何か、種を蒔き育ててきたものが実っているから、そのまま受け取りなさい、というようなイメージでとらえてきた”収穫”のカード。
私自身もその実りであったと、
そしてそれは、いまここで、全員が実りを迎えているのだということ。
この実った果実は、みんなに分け与えて、みんなで味わったらいいのだ、とユニオミスティに出逢って7年目にして、初めての角度からの理解でした。
満ち満ちた豊かさの中で、
私たちは、毎瞬実っている。
いまここで、収穫の季節を迎えている。
だから、何の価値もないということは、やはり幻想なのです。
誰かと分かち合える「実り」が、全員、常にあるのです。
まずは、その実りの甘く新鮮な芳りを、頬がほころぶような美味を、自分自身で味わって、そして、余ったらみんなに分け与えたらよいのでしょうね。
その豊かな実りに、自分で氣がついていること。
やはりすべて、ここにある、ということですね。
「ない、ない、ない」と言いながら探していると無いけれど、「ある、ある、ある」と探していると見つかるというアレも、真実だろうなぁと思います。
私もよく友人に「お金はダミーだね」と言われますがw
ほんとだ、ダミーだった、、と照れた昼下がりですw
あぁ、なんて豊かなんだろう、、と思っていたら、
曇っていた空が晴れました。
太陽に照らされた雲がまぶしく白く輝いていました。